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Nami Kazuki

年表

  1. 1963年5月24日 名古屋生まれの名古屋育ち。
    太陽星座、月星座ともにふたご座 好奇心旺盛,旅好きの自由人。

  2. 1992年 29歳で一人っ子の夫とお見合い結婚、豊橋市へ。義母との同居生活が始まる。
  3. 1994年長男出産、翌年長女出産。ここから長い子育てと介護の人生が始まる。
  4. 2013年 50歳の節目に当たる年で、長男に続き長女も家を出ることになり子育ても一段落。これからは、自分の好きなこと、得意なことで社会貢献していこうと決意。アロマセラピストの道へ。
  5. 2015年 2年の学びを終えて卒業、アロマセラピストの資格を得て自宅サロン開業へ。
    デイサービスでの利用者へのアロマトリートメント開始。4年間で1000回以上の経験を積み、カウンセリング力を身に着ける。

  6. オリジナリティーを求め、その後も様々な資格取得。

  7. 月よみ師、潜在意識アロマセラピスト、レイキヒーリング、宿曜占星術師,マキノ式チャイム音響師、etc
  8. 2020年 コシ・チャイムの音色の魅力に才能開花。コシ・チャイムヒーラーとして活動。個人やグループヒーリングを開始。
  9. 2021年 クオンタムエネルギーヒーリングに出会い、「最高のヒーラーになる!」と決意。2年間の直弟子コースを受講中。

初めまして

初めまして。セラピストの佳月那実です。

ご挨拶代わりに簡単に私の自己紹介をさせていただきます。
愛知県名古屋市出身。年子の弟、7歳下の妹、3人きょうだいの長女として生まれる。

父は、サラリーマン。いつも仕事ばかりの人間でした。


たまの休みの日には、父は忙しい合間を縫って私たちを近所の公園にボートを乗りに連れて行ってくれたりキャンプやスケートなど様々なところへ連れて行ってくれました。

母は、専業主婦。家で私たちを育てながらクリーニングの仕上げの内職をしていました。

狭い部屋でみんなでテレビを観たりお茶を飲んだり家族団欒、にぎやかな家庭で育ちました。


家の中にはときには母方の祖母といとこも居たり合わせて7人家族の時もありました。

狭い部屋でみんなでテレビを観たりお茶を飲んだり家族団欒、にぎやかな家庭で育ちました。

ところが小5のある日幸せで順風満帆だった日々が突然崩れます。
父が、突然、くも膜下出血で倒れたのです。父は、まだそのとき42歳でした。


それからは父の長い長い「入院生活」が始まりました。
母は泊まり込みで父の付き添いをし私達はおばあちゃんに育てられる日々が始まりました。

わたしはというもの当時4歳だった妹の面 倒もみながら学校にいくという生活。
周りからは、「お姉ちゃんだからしっかりしてね。」「頑張ってね」と言われ
いつしか「お姉ちゃん」という言葉が洗脳のように感じていきました。


「私だって甘えてみたい!」それなのにいつも自分のことは後回し言いたいこともやりたいこともなかなか言い出せない。
このような基礎がここでつくられていきます。

高校の進路を決める時も母から 言い出す前に「2人大学に行かせる余裕は、ない」と言われてしまいました。
なんとなくわかってはいたけれど、英語の勉強をしたいという思いを封じ込め私は普通科へ行くことをあきらめました。


そして泣く泣く県立の商業高校へ進みました。
高校生活は、いい友人にも恵まれそこそこ楽しく卒業後は、製薬会社の子会社へ営業事務として就職しました。

この会社は、今でいうブラック企業そのもの。
ちょうど会社が大きくなろうとしていた時期でもありサービス残業は当たり前、忙しい日々は続きました。


残業はキツかったけれど会社はとても活気にあふれ人間関係も良く、お酒やカラオケの楽しさを初めて教わることができました。

先輩、後輩の寿退社が続く中、わたしは5年で区切りをつけ退社を決意しました。
その後もOLとして再就職したものの満たされない空虚感はつづきました。


「自分には、もっと別の得意なことがある」「私には、もっと何かやれることはある」と様々なビジネスや自己啓発のセミナーに参加したりしながら、自分探しの旅が始まります。

それでも、お金や時間をかけてもなかなかやりたいことが見つからず恋や仕事に疲れた29歳。子供が欲しいと思っていた私は、結婚を意識し始めました。

するとタイミングよくお見合いの話が次々と舞い込みました。
何人かと会った末に夫とは意気投合し、アッという間にゴールインしました。

夫の母との同居生活がスタート。ここから私の長い長い「子育て」と「介護」の人生が始まります。
一男一女を出産し、子育てで慌ただしい中義母は、部屋に籠ることが多くなり、だんだんと寝たきりになっていきます。

子供たちを幼稚園に送り義母のおむつ替えや食事、家事、幼稚園のお迎えという日々が8年続きました。最後は、義母は末期がんが見つかり入院、70歳で他界しました。

義母を看取り、家族4人の生活が始まったものの今度は、夫が45歳で脳出血で倒れました。夫は56歳で他界するまで入退院を幾度となく繰り返しました。

気丈な私でも、もうすでに肉体的にも精神的にも限界でした。子供たちを守るという事だけが、このときの私を支えてくれていました。


2人の子供は、私を癒すように、とても良い子に育ちました。
ある意味、子供の多感な時期に何もしてやる余裕がなかったことが自立心を育て、自分の進路は自分で決めるという子に育ちました。息子は、現在SEとして娘は、看護師として社会へ出て働いています。

次に私が、セラピストになった経緯についてお話します。
長男に続き、娘も家を出て名古屋の学校に通うことが決まった50歳の時、
「これからは、自分の好きなこと、得意なことで社会貢献していこう」と決めました。


ここからまた私の自分探しの旅が再開します。
たまたま目にしたホームページが、自宅サロンでアロマのことを教えている先生でした。家から近いこともあり即断即決し先生のもとへ2年間通い、最短で自宅サロン開業までこぎつけました。

当時は、夫の闘病生活も重なり、わたしは他に頼るものもなく週一のアロマレッスンで先生に話を聞いてもらうことが心の支えになっていました。時には、ヒーリングでリセットしてもらい、現実の困難を乗り切る日々を送りました。

この時の支えてもらえた経験が元になりわたしは精神的に困っている人たちの癒しになれればと自宅サロン開業へ踏み切りました。

その後、デイサービスでのアロママッサージの仕事もさせていただき介護される側のお悩みをお聞きする機会もありました。介護する側だけに悩みはあるのではなく介護される側にだって悩みは存在することに気づかされました。


お客様を癒すことに全集中する時間は、私にとっても癒しの時間になっています。
その後も、わたしは学びたい意欲が止まらず、数々の資格取得をしていきます。それらの費用は,たぶん高級外車をゆうに1台買えるくらいになっているでしょう。

様々学んだ資格のなかで、今一番お客様より求められているのはコシ・チャイムヒーリングです。
コシ・チャイムは、4つの地球の元素「地.・水・風・火」からなる音を組み合わせて一期一会で奏でることができます。


そして、コシ・チャイムの演奏は二度と同じ演奏を奏でることができないほどお一人お一人のエネルギーに寄り添ってヒーリングを合わせることができます。

そのため、鬱や不眠症でお悩みの方が、すぐに熟睡できたり
ITビジネスでお疲れの経営者の方も コシ・チャイムを聴くとすぐに睡眠できたり、翌朝もスッキリ!疲労回復にとても効果的なんです。


これからコシ・チャイムヒーラーとして様々な環境をご用意しますのでぜひ遊びにきてくださいね!